おじさんは反抗期

見た目はおじさん、頭脳は子ども

【俳優になりたい】関西芸術座研修生時代のアルバイトは「新世界」

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関西芸術座俳優養成所に入ってからの生活は劇的に変わりました

京都市の北のはずれから、大阪市西成区岸里まで往復4時間

原付バイクと京阪電車と地下鉄御堂筋線・四つ橋線を乗り継いで…

「これは時間がもったいない!」

ぼくは劇団近くで一人暮らしをはじめることにしました

はじめての一人暮らしは「4畳半一間」のアパート

風呂なし
徒歩3分のところに銭湯がありました
銭湯はけっこうお金がかかっていたので、毎日行くことができませんでした
銭湯に行けない日は、タオルで体を拭いていました
いまのきれい好きなぼくには考えられない生活です

トイレは和式
タンクが上についていてヒモで引っ張って水が流れ落ちるタイプ

洗濯
近所のコインランドリー

電話なし
ポケベルと近くの公衆電話を使っていました

部屋にあったものは・・・
布団、テレビ、冷蔵庫、扇風機

親からの独立がこれほどうれしいとは!

大学も卒業した22歳、社会に出て、すべてが自分の責任です

それでも、開放感のほうが勝っていました

「自由だ~!」ってな感じです

銭湯事件

銭湯で顔見知りになったおじいさんがいました。いつも一言二言挨拶をかわす程度でした。
ある時、このおじいさんがぼくのアパートにやってきました。
「なんで、ぼくの家知ってるの?」
まあ、立ち話もなんだし、部屋に入っていただくことにしました。
お茶を出して、世間話をしていたら…そのおじいさんはぼくの体を触りはじめたのです!
そして「じゃあこれね」と千円札一枚置いて帰りました。
服は着ていましたが、怖くて声が出ませんでした。

ゴミ箱事件

アパートのお隣さんには初老のご夫婦が住んでおられました。
ゴミは収集日までアパートの廊下に置くことになっていたのですが、ある日アルバイトから帰って来ると隣のご婦人(ばばあ)がぼくの出したゴミ袋を開けて探っていました。
ぼくが帰って来たことに気づいたばばあは「えへっ」と笑って自分の部屋に戻って行きました。
これまたショッキングな出来事でした。

結局、ぼくはすぐにワンルームマンションに引っ越しました。
風呂つきはありがたかったのですが、家賃は倍になりました。

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「新世界」ジャンジャン横丁でアルバイト

ぼくのアルバイト先は浪速区(なにわく)の「新世界」にある喫茶店でした

アパートは西成区の岸里にあったので、自転車で西成区の「あいりん地区」を抜けて通っていました

大阪には2つ「三角公園」がある!

大阪には「三角公園」と呼ばれるところが2つあります。
1つは心斎橋(しんさいばし)のアメリカ村に。
もう一つは、あいりん地区に。

あいりん地区の「三角公園」には野外テレビが設置されていました。
テレビでは競馬・競輪・競艇をやっていて、闇で博打がされていました。
炊き出しがあり公園のフチを一列に並んでいるたくさんの人がいました。

屋台の生レバ、20円

屋台で串に刺した生レバを出している店がありました。
アルバイトの帰りにそこでオレンジジュースを頼み、生肉をあっさりしたタレで食べていました。
一本20円だったので、安くてたくさん食べられました。けっこう、おいしかったです

ところが、その屋台に3回目くらいに訪れたとき、屋台のおじさんから「お酒を注文しないなら来ないでくれ」と言われました。
ぼくはまったくお酒が飲めないのでいつもオレンジジュースを頼んでいたのですが、店のおじさん曰く「お酒を頼んでもらわんと利益が出ない」とのことでした

100円ラーメン

100円ラーメンの店もありました。100円ですよ⁉
お金のないぼくにとってはとても助かっていました

違法薬物の売買もあったようです

当時の西成は治安が悪く不衛生なところでした。
違法薬物の売買を一番安全に取り引きできる場所、みなさんはどこだと思いますか?露天?それとも路地裏?違います。
西成警察署前だったんです。なぜなら「薬の売人は西成警察署の署員の顔を知っている」から。
その署員が出入りしない時を狙って薬を売っていたんです。
売人の競合相手とのいざこざも警察署前なら起こることもありません。
※ あくまで20年前の噂話です。

「新世界」でしか使えない「お金」みたいなもの

「新世界」では「新世界」だけでしか使えない「100」や「500」と印刷されているカードが流通していました。それぞれ100円や500円の「価値」があります

当時の新世界では賭け麻雀店、賭け将棋店、そこへコーヒーや軽食を配達する喫茶店がありました。ぼくがアルバイトをしていた喫茶店もその一つでした。カードでのやり取り半分、お金でのやり取り半分といった感じでした

賭け将棋屋

アルバイトをしていた喫茶店の隣が将棋をする所だったので、そこの店主のおじさんに将棋をやらせてほしいとお願いしたことがありました。
するとそのおじさんは「ここはお金を賭けて将棋をするところだからアカン」とまったく相手にしてもらえませんでした

どうやら将棋の指し方も一般的な趣味やプロ棋士の指し方とは違いいかさま紛いのクセが強いもののようでした

将棋屋の壁には、坂東妻三郎(田村正和さんのお父さん)が演じていた『王将』の阪田三吉のポスターが飾られていました

ちなみに、この将棋屋の店主、暇なときは一人店先でずっと社交ダンスの練習をしていました(笑)

博打場

やくざ映画に登場するような見事な博打場もありました。サイコロを振って半か丁か、っていうアレです。
そこへの配達は、ドキドキしました。博打場までにチェックポイントがあり、そこで「〜ですが、スパゲッティの配達に来ました」と伝えます。すると怖そうなお兄さんが携帯でどこかに連絡をしてオーケーが出たら次のチェックポイントに案内され、それをいくつかクリアしてようやく博打場に到着、品物を届けたらすぐに帰ります。お客さんは見るからにプロの怖い人が半分、スーツを着た普通の人っぽい人が半分でした

夜のジャンジャン横丁

アルバイト先のマスターからは夜の8時までに「新世界」から出るように言われていました。時々、喫茶店の常連さんがマスターに「昨日の夜はどこどこの、誰々が刺されたらしい」という話をしていました

今では夜も安全な「新世界」になったみたいですね

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「飛田新地」という料亭街

近くには日本最大の男の遊園地「飛田新地」がありました。夜になると店先には着物姿のおねえさんがスポットライトで照らされて妖艶な笑みを浮かべていました。そのキレイなこと!思わず吸い込まれそうになります。隣には頑固そうなおばさんが、おいでおいでと手招きをしていました。
友人を自転車の後ろに乗せて、何回か案内しました。みな「吸い込まれそうや〜」っと言って、実際に吸い込まれていきました。
どうやら店員さんとすぐに恋に落ち、20分後には失恋するところらしいです。

ぼくはそれらの店に食べ物を自転車で配達していました。夏場にはかき氷を勝手口から入っておねえさんのお部屋へ持って行きます。白粉(おしろい)の香りがとても魅惑的でした。キャバクラの香水よりも白粉の香りの方がぼくは好きです。おねえさんが「次はお勝手じゃなくて、表から入って来てね」と優しく声をかけてくれました。

今では飛田新地には「怖い男の人が集まる事務所」はないとのことですが、当時は3か所ほどありました。遊郭の取り分は、半分がおねえさん、残りの半分を呼び込みのおばさんと暴力団が折半すると聞きました。例えば、20分2万円だとすると、1万円がおねえさんに、あとの5千円が呼び込みのおばさんと「怖い男の人が集まる事務所」にそれぞれ入る仕組みです。

「怖い男の人が集まる事務所」にもコーヒーを配達

ある時、ぼくはうっかりお釣りの小銭を持っていくのを忘れました。1万円札で支払われたのにお釣りのお金がありません。若くて怖そうな男の人に胸ぐらを掴まれ怒鳴られました。ぼくはぼくで何もそこまで怒鳴らなくてもと思ったので、その人に詰め寄りました。すると奥から紳士的な男性がその笑顔とは想像もできない恐ろしく低い声で「おいっ!やめんかい!!」と若い男の人を怒鳴り、そしてぼくに「おにいさん、こういう若いもんに歯向かうのはあかんな。一言謝ればええんや。ケガしたくないやろ?」と優しく諭されました。その偉い人がいなかったら、ぼくはボコボコにされてたかもしれませんね。

という、映画以上に映画な世界でアルバイトを研修生時代にしていました

俳優をやめてから「新世界」には一度も足を運んでいません
俳優だったことを思い出してしまいますし、劇団も移転しましたから・・・

ただ1990年代の「新世界」とても魅力的な世界でした、深入りさへしなければ・・・

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