おじさんは反抗期

見た目はおじさん、頭脳は子ども

【舞台は楽しい】新劇だけど、小劇場にも出ていました【俳優は楽しい】

ぼくは大阪にある「関西芸術座」の研修生となり、そのまま正式に劇団員になりました

うれしいことに、すぐに役をもらい全国各地を巡演しました

『奇跡の人』の黒人農夫役(元々の台本にはなかった役)、その後、黒人の子ども役(元々の台本にもあった役)に替わりました。24歳で「5才児」の役でした

元気な5才児ということでやりたい放題でした。舞台で宙返りをしたり、主役のサリバン先生が大切なセリフを話している時にお客さんを笑わせてしまったり。さすがに、大事なセリフを邪魔した時は怒られてしまいました。劇全体を壊してしまうことになるので当然です

ぼくの演技は劇団内で好評で「あの滅多に褒めない演出部の〇〇さんが褒めてたよ!」と聞いた時にはとてもうれしかったものです

その後『遥かなる甲子園』でも役をもらうことができました。長期巡演の作品に参加できたので、空いた時間にアルバイトをすれば、なんとか生活することはできていました

ただ、ぼくの中ではタイムリミットを決めていました。30歳になるまでに俳優だけで食べていけないか、東京に出られなかった場合は俳優を辞める、と

舞台の上はとても気持ちがいいです。出番やセリフが多いとなおさら。だけど50歳、60歳になってもずるずるとアルバイトをしながら役をもらうのを待っていた人たちもいました。ぼくは、そうはなりたくなかったのです

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それにぼくはシェイクスピアに興味がありました。当時、東京グローブ座を常設として小劇場出身の俳優さんがシェイクスピア作品を上演していました。小劇場独特の相手のセリフに上から被せていくようなスピーディなやり取りが魅力的でした。シェイクスピア劇は3時間以上かかるので、新劇系の平板さよりも小劇場系の速さがあったほうがお客さんも飽きなかったのだと思います

そんなこともあり、ぼくは所属していた「関西芸術座」以外の「小劇場」系のアマチュア劇団にも客演という形で参加するようになりました

これ、ほんとは禁じ手なのです。普通の会社でも副業禁止、特に同じ業界だと余計にダメなところが多いと思いますが、所属していた劇団も同じでした。
なぜなら、ギャラの問題があったからです。プロの俳優として表に出る限りは、所属している劇団を通さねばなりません
劇団を通さずに舞台に立つのは「闇営業」です

不器用なぼくは劇団に正直に伝えました。シェイクスピアがやりたい、もっと俳優としての技量を身につけたい、と。そうしたら「ギャラが発生しないなら仕方ない」と許可をもらいました

そこからは3ヶ月から半年くらいのペースで小劇場に参加しました。参加させてくれる劇団にとってもメリットがあります。パンフレットに「客演〇〇〇〇(関西芸術座)」と入れることができるので、パンフレットを見た人の目を引くことができます。それに、劇団員ならチケットを売るノルマがあるのですが、ぼくは客演扱いなのでチケットノルマはありませんでした。まあ、ギャラももらえませんでしたが、チケットを売る労力と比較すればラッキーでした

そんなこんなで小劇場系でシェイクスピアをするらしいと噂を耳にすると頼み込んで参加させてもらいました

出演だけではなく、演出をさせてもらうこともありました。演出は演出で魅力的な仕事でした

こうして、ぼくの俳優漬けの生活はとても充実したものとなりました

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