ぼくは平成10年の3月末で劇団を退団し、実家に帰りました。27歳の時です。
あっけなく、短い俳優人生でした。 それは、今も後悔しています、トホホ。
大学を卒業した時に社会福祉士の「受験資格」があったので、とりあえず「社会福祉士」の受験勉強を始めました。
親が小遣いをくれるはずもなく、ダラダラと遊んでいるわけにはいきません。
そこで、アルバイトを探しました。運良く、実家近くの病院のデイケアで働くことができました。
午前中は京都市北区にある「資料館」の学習室で勉強をして、午後からデイケアのアルバイト。
大学時代、社会福祉学科ではありましたが、まったく勉強なんてしていませんでした。
「クラスのみんなが大学受験するしぼくも受験しよう、とりあえず合格したから大学に行っておこう」ってな感じです。
ぼくには「俳優になる!」という夢がありましたから。
万が一、俳優稼業が頓挫した時のために大学へ行きました。
したがって、社会福祉の勉強はゼロからでした。
試験は年に1回。つまり、不合格だと1年間の浪人生活が待っています。
とりあえずテキストを全部そろえて読みこんで、あとはひたすら過去問を解きました。
過去問を覚えるくらい勉強すれば、ほとんどの試験は合格できますね、体力があれば。
1998年(平成10)の「社会福祉士」の合格率は27.6%、12,535人が受験し3,460人が合格していました。
アルバイト先のデイケアは社会福祉士を受験するためにはとても良い環境でした。社会福祉士の資格を持つ上司から「現場」を教えてもらうことで、教科書と実践が繋がりました。また社会福祉士を受ける職員さんもおられたので、一緒に勉強をしました。
10月になり就職活動も始めました。とある病院の相談室の仕事です。
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そんなこんなで翌年1999年(平成11)の1月末に受験。
そして3月31日、結果はっぴょーーー!!
合格者は新聞に掲載されました。今だと個人情報なのでありえないですよね?
結果は「合格」よかった!ほんとによかった!!(嗚咽)
ということで、ぼくの第二の人生の始まりはじまり。
今もソーシャルワーカー(PSW?MHSW)として働いているので、仕事の話も今後はしていければと考えています。
ではでは。