ぼくは大阪にある「関西芸術座」の正式な劇団員になりました
「関西芸術座」は関西の演劇界では「関芸(かんげい)」と呼ばれています
ぼくは研修生の卒業公演後、すぐに仕事がもらえました
「関芸」だけど「歓迎」されていたかどうかは…ゴホッ、ゴホッ…
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- ぼくは大阪にある「関西芸術座」の正式な劇団員になりました
- 公演のルーティーン
- 公演のギャラ
- 1つの演目を3~5年
- 映像の仕事はおいしいぞ!
- 舞台だけでは食べていけない構造
- ※ 劇団の事情は1990年代後半のものです、また劇団によって事情も違います
演目は「奇跡の人」
ヘレンケラーとサリバン先生の物語です
「奇跡の人」は今でも商業演劇でも上演されていますね
台本にはなかった役
ぼくの役はもともとはありませんでした
主人公宅で雇われている黒人農夫の役です
なぜもともとなかった役が作られたのか?
舞台設営の人手が足りなかったので、役が追加されました
舞台設営は力仕事
劇場での公演は天国
劇場、いわゆる「箱もの」は演劇だけではなくクラシック音楽などいろいろな舞台芸術ができるように設計されています
そのため舞台裏側の扉が大きくて、トラックの荷台と同じ高さに設計されており、搬入作業がとても楽です
学校の体育館での公演は地獄
学校の体育館の場合、トラックから荷物を降ろして、舞台袖まで持っていかなければなりません
また、学校の舞台は奥行が短いため「張り出し」を作らなければなりません
「張り出し」の鉄骨、照明機材、音響機材の重いこと重いこと・・・😢
そういうことで、当初の台本にはない役柄を作って、舞台設営の人手を確保していたのです
俳優も総出で機材を運び、組み立てていました
主役であろうがなかろうが、関係ありませんでした
舞台の設営は時間との戦い
初舞台からしばらくは「演出部」からめちゃくちゃ怒鳴られていました
特に撤収時のトラックへの積み込みは大変
2tトラックに上手に積まなければ幌をかけることも、ロープでしっかりと固定することもできません
トラックの荷台に乗って、セットや機材を組み入れていくのが若手の男性団員の仕事でした
初めての役はセリフは一言、登場シーンも3回
役作りよりも、力仕事、トホホ
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公演のルーティーン
近場の場合
当日入りし舞台設営、午後から1公演、夕方撤収
遠方の場合
前日入りし舞台設営、宿で一泊し、翌日に1~2公演、夕方撤収
地方巡演の場合
2週間から1か月かけて全国を回ります
移動は公共交通機関でした
公演のギャラ
1回の公演のギャラは8,000円
一年に一回、昇給がありました(公演に出演している俳優に限る)
食事は自腹の時もあれば、主催者側が負担してくれる場合もありました
稽古のギャラは1日500円
稽古の際には稽古手当が1日500円でした
にもかかわらず、稽古に入ると朝から晩まで拘束され、2~3か月続きます
稽古期間は収入が減るので、アルバイトをしていました
1つの演目を3~5年
関西芸術座では同時に2つの演目で回っていました
1つの演目を3~5年かけて巡演します
1つの演目が終わると10万円ほどの手当がもらえました
ぼくの場合は入団してすぐに役をもらって、舞台とアルバイトを両立することができましたが、劇団員でも役がもらえないと無収入でした
俳優なのに、プロなのに無収入はきつかったと思います
結局、アルバイトが本業になって劇団を去る人が多かったように思います
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映像の仕事はおいしいぞ!
テレビドラマや映画、企業のプレゼン用ビデオなどの仕事をもらっている劇団員もいました
映像の仕事はギャラがたくさんもらえます
パナソニックのプレゼン用ビデオに出演
「ノートパソコンがあると、これだけ仕事ができますよー」って感じの内容でした
書類を山積みにした仕事ができない会社員がぼくの役、その隣でノートパソコンを使っているクールな女性
クールな女性はモデル事務所の人で、顔が小さくて足がすらりと長い美人さんでした
大阪市清掃局のPRビデオに出演
ゴミ収集車に乗って運転しているだけの役
監督さんから「いや~、さすがですねー、OKです!」って…
いやいや、セリフないし、ゴミ収集車の窓越しですし、なんなら普通に清掃局の人でいいやんって思いました
ありがたいことに、2つともギャラは手取りで7万円ありました
大阪で7万なので、東京だと2~3倍はあったと思います
ちなみにドラマのギャラは東京は大阪の5~10倍という噂があります
舞台だけでは食べていけない構造
1公演8000円、1日2公演あったとしても16,000円・・・
学校の鑑賞行事も「演劇」だけではなく、クラシック音楽や能や文楽など多様化し・・・
それでも、今でも「関西芸術座」は健在なので、がんばっていると思います!