おじさんは反抗期

見た目はおじさん、頭脳は子ども

【俳優になりたい!】ぼくの生活にジャッキーチェンが出現した日


中学生になったぼくは、友だちに誘われて映画館に行きました

1980年代、男子の憧れはジャッキーチェンとタイガーマスクとチェッカーズ

当時の映画館は「座席指定制」とか「完全入れ替え制」ではなく、チケットを買って中に入ったら何度でも観ることができました

昔の映画館は、たばこや食べ物とカビのニオイがしていました。座席も狭くて硬かったですね

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ジャッキーチェンを知ったのは小学6年の時で、友だちから教えてもらいました

テレビでジャッキーチェンの「カンフー映画」をワクワクしながら観ていました

カンフー映画は「現代もの」ではなく、どちらかと言うと「時代劇」

祖父がテレビで時代劇をよく観ていたので、時代劇には慣れていました
「遠山の金さん」「江戸を斬る」「大江戸捜査網」「長七郎江戸日記」「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「桃太郎侍」・・・ちょうど学校から帰ってくると、テレビで再放送をしていました

「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」なところが時代劇と似ていたので、祖父もジャッキーチェンの「カンフー映画」が好きだったようです

映画『プロジェクトA』

ぼくが映画館で初めて観た映画です
『プロジェクトA』はイギリス植民地時代の香港が舞台

時代劇とは雰囲気が違います。産業革命後って感じ

ジャッキーは時計台から落ちました。ジャッキーの映画のエンドロールにはNGシーンが映されます。時計台からの落ち方からすると3回は落ちている!
(最近知ったのですが、3回落下したうちの1回は別の人だそうです)
自転車で追いかけっこをしたり、壁を走ってあがったり、集団同士がケンカしていたり。サモ・ハンやユン・ピョウも出ていました

映画そのものについていえば、幼稚園の頃にチャップリンの短編喜劇がテレビ放送されていて、笑い転げながらずっと観ていました
今の子どもでいえば、スポンジボブやミニオン、トムとジェリーと同じような感覚でした

どれくらいチャップリンのことが好きだったかというと…

ぼくが幼稚園の頃、家族でクリスマスパーティーをしていた時にニュース速報でチャップリンが亡くなったことを知らされました。自分の中にある一番古い記憶がチャップリンが亡くなったことです。あとは、大学の卒業論文で『チャップリンの幼少期の性格形成と英国の社会保障制度について』を書いたほどです。

チャップリンは『モダンタイムス』以前(『独裁者』とする説もあり?)はサイレント映画ですし、ジャッキーは字幕ということもあり、どちらかというとアクションに目が向きました

友だちとカンフーごっこをしたり、宙返りの練習をしたり。。。

そこからなんとなく、アクションスターになりたいなーなんて友だちと話したり。でも、ジャッキーは香港に住んでいるし、中国語わかんないし。日本でアクションスターなんていないだろと思っていると、さすがは友だち、そのへんもよく知っていて「真田広之がいるよ!」と

真田広之ってだれ?

友だちがJAC(ジャック、ジャパンアクションクラブ)のことを教えてくれて、『伊賀のカバ丸』のメイキングビデオを貸してくれました

「日本でもアクションできるんじゃないかな?」と思った瞬間でした

それからは、もう「アクション俳優」になることしか頭にはなく、もちろん周りの大人からは「何を寝ぼけたこと言ってるんだ」って呆れられていました

中学3年生の個人懇談にて

先生から将来は何になりたいかたずねられ「俳優です!」ときっぱりと答えたぼく

うろたえる母

どう返していいかわからない担任の先生

たった5分ほどで個人懇談は終了。とりあえず近所の公立高校を受験することであっさりと決定しました。まあ、高校生にもなれば将来について現実的に考えられるだろうと周りの大人は考えていたのでしょうね・・・甘いよ!

無事、高校に合格したにもかかわらず「俳優になりたい!」という気持ちはますます強くなっていきました。

さてさて、どんな高校生活が待っているのやら

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